久遠寺の沿革―年表
御歴代上人 | 年号 | 横浜教会関連事項 | 神奈川教会関連事項 | |
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第54世日胤上人 | 明治3年 | 東京常泉寺信徒及び会津若松実成寺信徒が横浜に移住し布教 | ||
第55世日布上人 | 明治10年頃 | 松浦雲琴氏と松村榮七氏で本因妙講を起こし数十の講員で組織 | ||
明治15年 | 4月 | 日霑上人、東向に際し横浜に御下向され講頭山﨑亀次郎宅に立ち寄られる | ||
8/下 | 横浜問答が始まる(大石寺本門講と横浜蓮華会との問答筆戦) | |||
10/19 | 日霑上人、東京から大阪に向かわれる途中で山﨑亀次郎宅にご宿泊 | |||
12/4 | 横浜問答が終わる(蓮華会が最初に取り決めた条約を破棄) | |||
明治16年 | 1月 | 日霑上人著『横浜問答』出版 | ||
明治18年 | 3月頃 | 日霑上人と土屋慈観師(日柱上人)横浜に御下向、塚原嘉兵衛宅に五日間ほど寄宿しつつ説法教化される | ||
第52世日霑上人 | 明治20年 | 6/14 | 日霑上人、横浜に御下向され塚原嘉兵衛宅に五日間寄留される | |
第56世日應上人 | 明治22年 | 8/29 | 横浜市羽衣町の劇場羽衣座にて布教会大演説会開催、以後、市内にて度々行われる | |
明治23年 | 10/5 | 横須賀市諏訪町元松座にて演説会を開催、終了後、第五十三世日盛上人により廣橋彌吉氏を講頭とする横須賀本種講を結成される | ||
11/20 | 日盛上人と清水梁山、横須賀市三浦楼上で問答 | |||
明治28年 | 3月 | 久保山墓地に題目碑を建立 | ||
明治29年 | 3月 | 松村榮七氏他五名の請願及び松浦美輪氏の住居等の献納により、横浜市野毛町三丁目百八拾番地へ仮説教所設立を東京常泉寺布教会出張所へ出願 | ||
明治35年 | 常泉寺信徒として高津たき氏入信、その後、東神奈川に移住し、夫とともに東神奈川駅前で旅館を経営 | |||
明治40年 | 教会所発足(日ノ出町二丁目三十八番地) | |||
第57世日正上人 | 大正2年 | 9月 | 松永行道師来浜、これより根本兼吉宅に寄留し横浜教会所新設に尽くされる | |
大正3年 | 6月頃 | 日應上人を開基上人、松永行道師を開基として横浜教会所を日ノ出町二丁目三八番地に新築落成 | ||
7/16 | 日應上人の御親修を賜り盂蘭盆会を奉修 | |||
7/17 | 松永行道師、横浜教会所担任教師に就任 松村榮七氏他五名、横浜教会所信徒総代に認証される |
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11/7 | 日應上人をお迎えして東神奈川駅前高津旅館にて初の布教演説会を開催、以後、大正七年まで毎月行われる | |||
大正4年 | 8/15 | 松永行道師、京谷秀三郎氏、高津たき氏等により東神奈川正宗会を組織 | ||
大正8年 | 高津たき氏、教会所建立を発願し神奈川区鳥越一八九九番地に土地を求め翌年より着工 | |||
大正9年 | 7/上 | 本宗第三十六号教会所の認可を受け、十一月には松永行道師が横浜教会所との兼務で神奈川教会所の担任教師に就任 | ||
5/21 | 松村榮七氏、七十七歳で逝去(松壽院廣榮日久信士) | |||
大正10年 | 3/25 | 日應上人大導師のもと『神奈川教会所落成入仏式』を奉修 以後、日應上人留錫 |
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大正11年 | 6/15 | 日應上人、神奈川教会所にて御遷化 | ||
6/19 | 堀米泰栄師(日淳上人)、神奈川教会所担任教師に就任 | |||
第58世日柱上人 | 大正12年 | 9/1 | 関東大震災・横浜教会所焼失 | |
12/18 | 横浜講中の主催により松村宅跡にて大追悼会を奉修 | |||
12/21 | 小川慈大師、神奈川教会所担任教師に就任 | |||
大正13年 | 3/15 | 横浜教会所、現在の久遠寺の場所に移転復興、日柱上人より『鶴祥山霊松院』との称号を賜る | ||
8/2 | 日柱上人の御親修を賜り『関東大震災殉死者諸精霊第一周忌追悼会』を横浜教会所にて奉修 | |||
大正14年 | 5/15 | 『復興一周年記念および増築落慶法要』を奉修 | 舟橋泰道師、神奈川教会所に留守居として赴任 | |
第60世日開上人 | 昭和5年 | |||
昭和7年 | 11/9 | 松永行道師、五十一歳で逝去(霊南阿行道房日泉大徳) | ||
昭和8年 | 9/28 | 神奈川教会墓地納骨塔落成式を挙行(横浜市三ツ沢共同墓地) | ||
第61世日隆上人 | 昭和10年 | 1/19 | 柿沼廣澄師、神奈川教会所担任教師に就任 | |
5/20 | 市川真道師、横浜教会所担任教師に就任 | |||
第62世日恭上人 | 昭和12年 | 10/14 | 市川真道師、出征(約五ヶ月間) | |
昭和14年 | 7/18 | 野木慈隆師、神奈川教会所担任教師に就任 | ||
昭和15年 | 2/6 | 高津たき氏、七十五歳で逝去(宝珠院妙竜日得信女) | ||
昭和20年 | 5/29 | 横浜大空襲・横浜教会所焼失 | 横浜大空襲・神奈川教会所焼失 | |
第63世日満上人 | 昭和21年 | 5/17 | 市川真道師、横浜教会所との兼務で神奈川教会所の主就任管に | |
第64世日昇上人 | 昭和22年 | 12/10 | 横浜教会所と神奈川教会所が合併 | 神奈川教会所、宗務院に解散届を提出・横浜教会所に合併 |
御歴代上人 | 年号 | 霊松山久遠寺関連事項 | |
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第64世日昇上人 | 昭和23年 | 2/11 | 横浜教会所、『久遠寺』と寺号公称 |
昭和24年 | 11/23 | 日昇上人の御親修を賜り『霊松山久遠寺落成式』を奉修(戦災復興) | |
昭和26年 | 10/15 | 日昇上人御親教 | |
昭和27年 | 8/11 | 宗教法人『久遠寺』を設立 | |
昭和28年 | 6/14 | 日昇上人の御親修を賜り『日應上人第三十三回忌並びに久遠寺戦災復興第五周年記念式典』を奉修 | |
第65世日淳上人 | 昭和31年 | 10/15 | 日淳上人御親教 |
11/7 | 『久遠寺本堂増築落慶式』を奉修、日淳上人より慶讃文を賜る | ||
第66世日達上人 | 昭和35年 | 12/26 | 法華講久遠寺支部横浜講を組織(横浜教会所・神奈川教会所・正宗講・横須賀本種講の合併) |
昭和37年 | 10/15 | 日達上人の御親修を賜り『久遠寺庫裏改築落慶法要』を兼ねて御会式を奉修 | |
昭和38年 | 3/13 | 妙道会関係者が法華講久遠寺支部正道講の組織を許可され、正式に久遠寺支部の所属となる | |
昭和44年 | 3/15 | 法華講久遠寺支部を組織(横浜講と正道講の合併) 初代講頭に山口操氏就任 |
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4/13 | 木村真昭師、久遠寺住職代務者に就任 | ||
昭和45年 | 6/14 | 市川ゲン氏、八十二歳で逝去 | |
昭和49年 | 8/10 | 久遠寺初代住職・市川真道師、七十二歳で逝去(岳東阿真道房日照大徳) | |
9/9 | 久遠寺二代住職に木村真昭師が就任 | ||
昭和51年 | 4/8 | 日達上人の御親修を賜り『久遠寺新築落慶入仏式』を奉修 | |
5/28 | 二代講頭に三宅忠雄氏が就任 | ||
昭和52年 | 創価学会の教義逸脱問題、脱会者約三百五十世帯が法華講に入講 | ||
昭和56年 | 4/17 | 木村真昭師発願による『妙慧山真修寺』の落慶入仏法要が奉修される | |
第67世日顕上人 | 昭和58年 | 12/26 | 観妙院日慈上人の発願により慈含山応顕寺が建立される(日應上人への御報恩と神奈川教会所再興の意義を込めて) |
昭和60年 | 3/4 | 『久遠寺上永谷墓苑開苑法要』を奉修 | |
平成3年 | 創価学会破門、再び脱会者の入講が相継ぐ | ||
平成5年 | 8/8 | 三代講頭に石渡雅夫氏が就任 | |
平成9年 | 9/27 | 『久遠寺創立九十周年記念法要』を奉修、記念事業として本堂等の大改築 | |
平成14年 | 4/28 | 『久遠寺略史』を発刊 | |
第68世日如上人 | 平成19年 | 12/5 | 日如上人の御親修を賜り『久遠寺創立百周年記念法要』を奉修、記念事業として霊松館建設や上永谷墓苑管理棟を建て替え |
平成20年 | 9/15 | 四代講頭に関野洋夫氏が就任 | |
平成22年 | 3/25 | 関野洋夫氏、法華講大講頭に任ぜられる | |
平成28年 | 2/9 | 久遠寺二代住職・木村真昭師、七十九歳で逝去(妙慶阿真昭房日融大徳) | |
3/10 | 久遠寺三代住職に梅屋誠岳師が就任 | ||
8/21 | 霊松館常住紙幅御本尊入仏式を奉修 | ||
平成29年 | 11/19 | 霊松館常住板御本尊入仏式を奉修 | |
11/26 | 『久遠寺開創百十周年・寺号公称七十年記念法要』を奉修 |