- 1. 久遠寺の濫觴(明治~大正年間)
- 1.1. 横浜問答と教会所設立の機運
- 1.2. 神奈川教会所設立
- 2. 戦後の復興と正法興隆の機運(昭和年間)
- 2.1. 初代住職・市川真道師就任
- 2.2. 教会所の合併と講組織の融合
- 2.3. 第2代住職・木村真昭師就任
- 2.4. 創価学会の教義逸脱(52年路線)
- 3. 創価学会の破門と法華講の大躍進(平成以降)
- 3.1. 6万人大結集へのスタート
- 3.2. 創価学会の破門
- 3.3. 地涌6万大結集総会
- 3.4. 久遠寺創立90周年記念法要
- 3.5. 30万総登山と新たな御命題
- 3.6. 久遠寺創立100周年記念法要と霊松館(信徒会館)の建設
- 3.7. 7万5千名大結集総会を挙行
- 3.8. 第3代住職・梅屋誠岳師の就任
- 3.9. 久遠寺開創110周年・寺号公称70年記念法要を奉修
久遠寺の濫觴(明治~大正年間)
横浜問答と教会所設立の機運
久遠寺の沿革は、明治3年(1870年)、東京常泉寺信徒及び会津若松実成寺信徒が横浜に移住し、熱心な折伏教化により入信する者が増加の一途をたどったことに端を発します。
明治15年(1882年)、大石寺本門講と横浜蓮華会との問答、いわゆる「横浜問答」において、勝利した大石寺本門講の人々が中心となり、教会所設立の気運が徐々に高まり、総本山第56世日應上人の開基により、明治40年(1907年)、横浜市日ノ出町に横浜教会所が設立されたことを濫觴とします。
大正元年(1912年)6月7日、日蓮宗富士派は日蓮正宗と公称することとなりました。
神奈川教会所設立
大正3年(1914年)、松村榮七氏、根本兼吉氏等の尽力により、横浜市日ノ出町に横浜教会が新築落慶され、同年7月17日付けで横浜教会所担任教師に松永行道師が就任しました。この後、各所で布教演説会が行われ正法弘通のうねりとなりました。
そして大正10年(1921年)3月25日、高津たき女史の浄財により、東神奈川に神奈川教会所が設立されました。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により、横浜教会所は焼失しましたが、翌大正13年3月15日には、日ノ出町より現在地、南太田町(現在の南区三春台)に鶴祥山霊松院として移転復興しました。
戦後の復興と正法興隆の機運(昭和年間)
初代住職・市川真道師就任
昭和10年(1935年)5月20日、市川真道師が横浜教会所担任教師として就任しました。
昭和20年(1945年)5月29日に戦災により、横浜霊松院、神奈川教会ともに焼失しましたが、横浜教会所においては当時の担任教師・市川真道師が御本尊をお護り申し上げました。その御本尊(第58世日柱上人)は現在、久遠寺客殿に御安置されています。
昭和23年(1948年)12月11日、霊松山久遠寺の寺号公称となり、初代住職に市川真道師が就任しました。
戦後の物資困窮の中を当時の市川住職のもと、三宅講頭を中心に講中一同の尽力により、昭和24年(1949年)11月23日、総本山第64世日昇上人の大導師のもと久遠寺落成式が奉修されました。 その後、本堂・庫裏の増改築がおこなわれ、寺域の荘厳がはかられます。
教会所の合併と講組織の融合
一方、講中の変遷については、明治40年(1907年)以来の横浜教会所と大正10年(1921年)以来の神奈川教会所が昭和22年(1947年)12月10日に合併しました。その後昭和26年(1951年)に正宗講が加わり、昭和35年(1960年)に久遠寺支部横浜講組織の件が許可されました。
そして昭和38年(1963年)には、新たに組織許可を賜った正道講が加わり、2つの講中が市川住職の指導のもとに和合し、活発な信心活動が開始されました。
昭和38年(1963年)5月22日、法華講全国連合会(後の法華講連合会)の組織許可があり、久遠寺法華講は東京地区連合会(後の東京地方部)に所属することとなりました。
昭和44年(1969年)3月15日、2つの講中が合併して法華講久遠寺支部組織の件が許可され、講頭に山口 操氏が認証されました。
第2代住職・木村真昭師就任
昭和49年(1974年)9月9日、久遠寺第2代住職・木村真昭師の入院式が修されました。木村住職は昭和51年(1976年)4月8日、鉄筋コンクリート3階建の新寺院を建設し、総本山第66世日達上人の御親修を賜り、久遠寺新築落慶法要が盛大に奉修せられました。
昭和51年(1976年)5月24日、三宅忠雄氏が講頭に認証されました。
創価学会の教義逸脱(52年路線)
昭和52年(1977年)頃から、創価学会の教義逸脱、謗法路線が顕著となりました。こうした状況により、学会の指導に不審を抱いた脱会者が全国的に続出し、久遠寺においても約350世帯の離脱者が入講しました。
昭和56年(1981年)4月17日、宗祖日蓮大聖人第700遠忌を記念して、木村住職発願の栃木県佐野市の妙慧山真修寺の落慶入仏法要が総本山第67世日顕上人の御下向を仰いで盛大に奉修されました。
昭和58年(1983年)7月26日、法華講連合会夏季総登山会のお目通りの砌、御法主日顕上人より「7年後(平成2年)の大石寺開創700年の年には、3万名の登山ができるような体制を考えなさい」との御指南を賜りました。この御指南は法華講連合会に大きな転機をもたらすことになりました。
昭和60年(1985年)3月4日、久遠寺上永谷墓苑の開苑法要が奉修され、待望の墓苑が開設されました。
昭和60年(1985年)4月1日、法華講連合会東京地方部が3分割され、久遠寺支部は東京第二地方部に所属することになりました。なお、初代東京第二地方部長に三宅忠雄講頭が就任しました。
創価学会の破門と法華講の大躍進(平成以降)
6万人大結集へのスタート
平成2年(1990年)7月29日、総本山大客殿広場において法華講連合会第27回総会が、7年前からの御命題であった3万名を大きく上回る4万1千余名の大結集をもって挙行されました。
席上、御法主日顕上人より「平成6年を目指して6万人の大結集」との御提案があり、会場の大拍手によって、新たなる御命題に向かってのスタートがきられました。久遠寺支部もこの総会に640名が参加しました。
創価学会の破門
創価学会破門通告(平成3年11月28日)平成2年(1990年)11月16日の、創価学会池田名誉会長の御法主上人及び宗門に対する批判・軽視のスピーチに端を発し、創価学会の謗法路線が再び顕著となり、たび重なる御教導にも耳をかさなかったため、平成3年(1991年)11月28日創価学会は宗門から破門されることになりました。こうした情勢の中、創価学会の大謗法に気づいた創価学会員は直属信徒になったり、法華講に入講する人が続出しました。
平成4年(1992年)5月10日、御法主日顕上人の御指南により始まった支部総登山会が久遠寺支部においても行われ、580人が参加し、御法主上人のお目通りを賜りました。
平成5年(1993年)4月1日、法華講連合会東京第二地方部より神奈川地方部が分割誕生しました。初代神奈川地方部長に関野洋夫氏が選出承認されました。同年8月8日に石渡雅夫氏が講頭に認証されました。
地涌6万大結集総会
地涌6万大結集総会平成6年(1994年)7月23日より日蓮正宗法華講地涌6万総登山が挙行されました。24日の総会には地涌の眷族6万人が大結集しました。席上、御法主日顕上人より「平成14年宗旨建立750年の佳節に30万人総登山を」との新たな御命題を賜りました。久遠寺支部からもこの総会に469名が参加しました。
平成6年(1994年)10月20日、神奈川布教区待望の第67世日顕上人御親教が応顕寺において奉修され、久遠寺支部からも代表が参加しました。
久遠寺創立90周年記念法要
平成9年(1997年)9月27日、久遠寺創立90周年記念法要が奉修され、この時洋式の本堂を純日本式建築に改修しました。
平成14年(2002年)4月28日、木村住職は「霊松山久遠寺略史」を発刊しました。
30万総登山と新たな御命題
平成14年(2002年)4月27日・28日、日顕上人は宗旨建立750年慶祝記念特別大法要を総本山において奉修され、更に、4月29日から10月7日にかけて宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要が60回にわたって奉修されました。
そして10月13日、日顕上人は大石寺奉安堂落慶記念大法要(初会)を奉修されました。
そしてその席上、日顕上人より「立正安国論正義顕揚750年に地涌の友の倍増乃至それ以上の輩出と大結集」の御命題を賜りました。
平成18年(2006年)4月1日、立正安国論正義顕揚750年記念局が設置され、その年の委員会において、「7万5千名の大結集と御影堂大改修を含む総本山総合整備事業の実施」が決定されました。
久遠寺創立100周年記念法要と霊松館(信徒会館)の建設
平成19年(2007年)12月5日、第67世日顕上人の御下向を仰ぎ、久遠寺創立100周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修されました。そして100周年を記念して、霊松館(信徒会館)の建設、上永谷墓苑管理棟の建て替え等が行われました。
平成20年(2008年)6月15日、「立正安国論正義顕揚750年記念地涌倍増大結集推進東日本決起大会」がさいたま市「さいたまスーパーアリーナ」で開催され、3万4千余名が参加、久遠寺からも代表が参加しました。また同年9月15日、関野洋夫氏が講頭に認証されました。
7万5千名大結集総会を挙行
平成21年(2009年)7月15日・16日、日如上人は立正安国論正義顕揚750年記念大法要を奉修され、7月26日には「立正安国論正義顕揚750年記念7万5千名大結集総会」が総本山大石寺広布の広場において開催されました。久遠寺支部からも630余名が参加しました。
席上、第67世日顕上人より「平成27年日興上人御生誕770年に法華講員50%増」「平成33年宗祖日蓮大聖人御聖誕800年に法華講員80万人体勢構築」の御命題を賜りました。
平成22年(2010年)3月25日、日如上人によって関野洋夫氏(久遠寺支部講頭)が法華講大講頭に任ぜられました。
平成25年(2013年)11月19日、日如上人は総本山御影堂大改修落慶大法要を奉修されました。
平成26年(2014年)10月25日、久遠寺支部は法華講員50%増の御命題、法華講員3798名を見事達成することができました。
平成27年(2015年)3月7日・8日、日如上人は第二祖日興上人御生誕770年奉祝大法要を奉修されました。
第3代住職・梅屋誠岳師の就任
平成28年(2016年)2月9日、第2代木村真昭住職が逝去され、同年3月10日、第3代住職・梅屋誠岳師が就任しました。
久遠寺開創110周年・寺号公称70年記念法要を奉修
平成29年(2017年)11月26日(日)午後1時より、久遠寺本堂において、久遠寺開創110周年・寺号公称70年記念法要が奉修されました。献膳・読経・唱題の後、関野総代による経過報告、妙照寺住職 木村道昭御尊師による御祝辞、御住職による謝辞がございました。その後、宗務院海外部長 漆畑行雄御尊師より布教講演がございました。最後に久遠寺支部鼓笛隊による演奏がありました。