法華講の名称は、大聖人が御自ら付けられたものであり、本門戒壇の大御本尊の脇書にも「法華講衆等敬白」と認められています。また日興上人も当時の信徒を「法華講衆」(『佐渡国法華講衆御返事』)と呼ばれていました。
このように、大聖人御在世当時から、本宗信徒は「法華講衆」と呼ばれています。
法華講の信心
信心の目的
法華講は、正法興隆と広宣流布をめざし、法華講員の信心の育成をその活動の目的としています。法華講員は、大聖人の仏法を純粋に信仰し、成仏するための信心をしています。
師弟相対
法華講は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、大聖人以来の血脈を継承される御法主上人の御指南に随順(師弟相対)して信心に励んでいます。
寺院参詣
寺院は宗祖大聖人の時代から存在し、そこには三宝尊(仏・法・僧)がそなわる重大な意義があります。
法華講の信心は、総本山大石寺を信仰の根本霊場とし、所属寺院を修行の道場として、日常の信心活動に励んでいます。日蓮正宗の総本山とその流れを汲む末寺には、真の仏宝・法宝・僧宝の三宝が厳然とそなわっており、法華講員は寺院に参詣することによって、直接三宝を敬い、大きな功徳を積むことができるのです。
法華講の信心活動
法華講員の信心活動としては、勤行・唱題・折伏・寺院参詣・教学の研鑚などが主なものです。
これらは、末法の衆生が成仏すべき信心修行として、宗祖日蓮大聖人が御教示されたものであり、日蓮正宗では750年の間、これらの信心修行を変わることなく実践しています。
勤行・唱題
勤行とは、朝と夕に御本尊に向かって、読経唱題し、仏法僧の三宝に御報恩申し上げ、種々の御祈念と先祖回向をすることです。
唱題とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、一切の修行の根幹をなすものです。したがって日蓮正宗では勤行の時以外にも、より多くの唱題を重ねることを旨としています。
この勤行唱題は、日蓮正宗の信仰の基本となる大切な修行です。
折伏
折伏とは、誤った宗教を信じている人や、宗教に無縁の人に対して、人生の不幸や苦しみの原因が、誤った思想や宗教にあり、日蓮大聖人の仏法こそが、真の幸福をもたらす唯一の道であることを教えて、日蓮正宗に帰依させることです。
この折伏は、宗祖日蓮大聖人の遺命である正法興隆・広布流布の実現と、自身の罪障消滅(過去世からの仏法違背の行為により積んだ悪業を消滅させること)のために、欠くことのできない大切な修行です。
総本山・寺院への参詣
日蓮正宗においては、総本山大石寺を本寺とし、総本山に連なるすべての寺院・教会を末寺とします。
末寺は総本山の出城であり、地域における信仰の中心道場です。ここには、本門戒壇の大御本尊のお写しである常住御本尊が安置され、御法主上人の代理として住職・主管が常駐し、御報恩御講をはじめとする年中行事等を執り行い、信徒の教導にあたっています。
総本山への参詣
日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山」といいます。
総本山大石寺は、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊と、日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈を所持する御法主上人まします一閻浮提第一の霊場です。
登山の本義は、大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊を内拝させていただき、御法主上人の大導師のもと、正法興隆による人類の恒久平和・広宣流布を祈り、さらに自身の無始以来の謗法(仏法違背)罪障消滅と現当二世にわたる大願成就を願うことにあります。
この大御本尊内拝を「御開扉」といい、本宗信仰者にかぎり、御法主上人の許可を得て受けることができます。
大聖人は、登山参詣の功徳について、
「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥はげむべし、はげむべし」
(四条金吾殿御返事 御書1502㌻)
と仰せです。本宗信徒は大御本尊のもとへ参詣し、過去からの謗法罪障を消滅し、諸々の願いを成就して、幸せな境涯を築いていっております。
寺院への参詣
日蓮正宗の末寺は信心練磨の道場です。本宗信徒は必ず寺院に所属して、信行に励んでおります。
本宗寺院における儀式・法要は、日蓮大聖人の仏法を化儀(仏の教えを儀式のうえにあらわすこと)として形のうえに表したものです。したがって本宗の信仰においては、この儀式・法要へ参詣して、大聖人の仏法を行ずるとともに、仏祖三宝尊へ深く報恩感謝申し上げることを大切にしております。
また、その参詣により、大聖人の教えや、正しい修行のあり方を学び、宗門の伝統を後代へ正確に伝えております。ここに、寺院で奉修される儀式・法要に参詣する重要な意義があります。
常日頃から寺院に参詣し、僧侶の説法や指導を聴聞することは、大聖人の仏法を生活のなかに実践し具現していくためにも、また、自らの謗法罪障消滅の功徳を積むためにも、欠かすことのできない大切な修行です。
大聖人は、
「何にとしても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし」
(新池御書 御書1457㌻)
と仰せられ、僧侶に親近して法門を聴聞し、信心の歩みを進めるべきことを教えられています。
教学の研鑚
教学とは、日蓮大聖人の教法を学ぶことをいいます。大聖人は、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず」
(諸法実相抄 御書668㌻)
と仰せられ、行(実践)とともに、学(教学)の大事を教えられています。
仏法の教義や道理を学ぶことによって、我見や疑惑のない正しい信心を培い、折伏に必要な知識などを身につけます。また、教学が深まれば、逆境や悪縁に遭っても、紛動されることがなくなります。
寺院では、御書の拝読をはじめ、講義・勉強会、宗門機関誌の活用などによって、常日頃から大聖人の仏法を学んでおります。