• HOME
  • 久遠寺のご紹介
  • 久遠寺の沿革01
  • 久遠寺の沿革02
久遠寺沿革01
久遠寺の濫觴(明治・大正)

◎横浜問答と教会所設立の機運
横浜教会所設立の請願書および副願書久遠寺の沿革は、明治3年(1870年)、東京常泉寺信徒及び会津若松実成寺信徒が横浜に移住し、熱心な折伏教化により入信する者が増加の一途をたどったことに端を発します。
明治15年(1882年)、大石寺本門講と横浜蓮華会との問答、いわゆる「横浜問答」において、勝利した大石寺本門講の人々が中心となり、教会所設立の気運が徐々に高まり、総本山第56世日應上人の開基により、明治40年(1907年)、横浜市日ノ出町に横浜教会所が設立されたことを濫觴(らんしょう)とします。

大正元年(1912年)6月7日、日蓮宗富士派は日蓮正宗と公称することとなりました。

◎神奈川教会所設立
大正3年(1914年)、松村榮七氏、根本兼吉氏等の尽力により、横浜市日ノ出町に横浜教会が新築落慶され、同年7月17日付けで横浜教会所担任教師に松永行道師が就任しました。この後、各所で布教演説会が行われ正法弘通のうねりとなりました。
そして大正10年(1921年)3月25日、高津たき女史の浄財により、東神奈川に神奈川教会所が設立されました。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により、横浜教会所は焼失しましたが、翌大正13年3月15日には、日ノ出町より現在地、南太田町(現在の南区三春台)に鶴祥山霊松院として移転復興しました。

戦後の復興と正法興隆の機運(昭和)

◎初代住職・市川真道師就任
昭和10年(1935年)5月20日、市川真道師が横浜教会所担任教師として就任しました。
昭和20年(1945年)5月29日に戦災により、横浜霊松院、神奈川教会ともに焼失しましたが、横浜教会所においては当時の担任教師・市川真道師が御本尊をお護り申し上げました。その御本尊(第58世日柱上人)は現在、久遠寺客殿に御安置されています。

昭和23年(1948年)12月11日、霊松山久遠寺の寺号公称となり、初代住職に市川真道師が就任しました。
戦後の物資困窮の中を当時の市川住職のもと、三宅講頭を中心に講中一同の尽力により、昭和24年(1949年)11月23日、総本山第64世日昇上人の大導師のもと久遠寺落成式が奉修されました。 その後、本堂・庫裏の増改築がおこなわれ、寺域の荘厳がはかられます。
初代住職および歴代講頭

◎教会所の合併と講組織の融合
一方、講中の変遷については、明治40年(1907年)以来の横浜教会所と大正10年(1921年)以来の神奈川教会所が昭和22年(1947年)12月10日に合併しました。その後昭和26年(1951年)に正宗講が加わり、昭和35年(1960年)に久遠寺支部横浜講組織の件が許可されました。
そして昭和38年(1963年)には、新たに組織許可を賜った正道講が加わり、2つの講中が市川住職の指導のもとに和合し、活発な信心活動が開始されました。
昭和38年(1963年)5月22日、法華講全国連合会(後の法華講連合会)の組織許可があり、久遠寺法華講は東京地区連合会(後の東京地方部)に所属することとなりました。
昭和44年(1969年)3月15日、2つの講中が合併して法華講久遠寺支部組織の件が許可され、講頭に山口  操氏が認証されました。

◎第2代住職・木村真昭師就任
第2代住職木村真昭師昭和49年(1974年)9月9日、久遠寺第2代住職・木村真昭師の入院式が修されました。木村住職は昭和51年(1976年)4月8日、鉄筋コンクリート3階建の新寺院を建設し、総本山第66世日達上人の御親修を賜り、久遠寺新築落慶法要が盛大に奉修せられました。
昭和51年(1976年)5月24日、三宅忠雄氏が講頭に認証されました。

◎創価学会の教義逸脱(52年路線)
昭和52年(1977年)頃から、創価学会の教義逸脱、謗法路線が顕著となりました。こうした状況により、学会の指導に不審を抱いた脱会者が全国的に続出し、久遠寺においても約350世帯の離脱者が入講しました。
昭和56年(1981年)4月17日、宗祖日蓮大聖人第700遠忌を記念して、木村住職発願の栃木県佐野市の妙慧山真修寺の落慶入仏法要が総本山第67世日顕上人の御下向を仰いで盛大に奉修されました。

昭和58年(1983年)7月26日、法華講連合会夏季総登山会のお目通りの砌、御法主日顕上人より「7年後(平成2年)の大石寺開創700年の年には、3万名の登山ができるような体制を考えなさい」との御指南を賜りました。この御指南は法華講連合会に大きな転機をもたらすことになりました。

昭和60年(1985年)3月4日、久遠寺上永谷墓苑の開苑法要が奉修され、待望の墓苑が開設されました。
昭和60年(1985年)4月1日、法華講連合会東京地方部が3分割され、久遠寺支部は東京第二地方部に所属することになりました。なお、初代東京第二地方部長に三宅忠雄講頭が就任しました。


久遠寺のご紹介 久遠寺の沿革02
ページの先頭へ

HOME霊松山久遠寺日蓮正宗の信仰真実の幸福へ法華講久遠寺支部行事のご案内
お問い合わせこのサイトについてサイトマップ